2005-12-24
第16回「ふるさと」
年末の帰省ラッシュが続く中、僕も仕事を利用してほんの短い時間だがふるさとに顔を出してきた。‘ふるさと’。この響きはだれもが耳馴染みのある言葉ではあるが、だれもが使用できる言葉ではない。もちろん使用禁止などといった意味ではないことくらい言うまでもないが、僕の持論はこうだ。東京に生まれ、東京で育ち、東京に暮す者にとってふるさとはない。…こんな言い方をしてしまうと幾分反感も買うであろうから補足しておくと、つまり、純粋に東京に生まれ育った者には、ふるさとの観念がない、もしくは持てないのではないか、という疑問である。僕はかつて東京に並々ならぬ憧れを感じていた。それは今も変わらないし、東京にはずっとそう思える街であってほしいと願っている。しかしその憧れは僕にとって、ふるさとがあってこその感情なのだ。だから僕は依然、何かのおりに「東京の人は東京の本当の魅力がわからないだろうから、可愛そうだな~」といった話をした覚えがある。これを田舎者のひがみと取るならばそれでいい。こう考えることにより、東京を更に愛 せた自分がいたのだから。親を選べないように、ふるさともまた選べない…選べない始発駅こそが‘ふるさと’ならば、東京のひとに言いたい。…それでも登りの汽車に乗ってほしいと……