僕は‘コーヒーショップ’という単語をこの歌で知りました。世代的な問題なのか、もしくは単なる僕の知識不足だったのかは今更どうでもよいことなのですが、類似語としてカフェという言葉が定着していたような気がします。
さて、この歌は1973年(昭和48年)にあべ静江さんのデビュー曲として書かれたものですが、実に73年らしい要素がちりばめられています。まず作家陣ですが、既に大御所と成りつつあった阿久悠さんを筆頭に、作曲が三木たかしさん、そして編曲はこの年絶好調の馬飼野俊一さん(同年、馬飼野さんは作曲でチェリッシュの『てんとう虫のサンバ』や野口五郎さんの『君が美しすぎて』などをヒットさせています)という取り合わせ。曲調は70年代前半に起きた四畳半フォークブームに便乗した風な少し地味目な印象があり、歌詞にある‘学生や‘マスター’というキーワードも同年のヒット曲、ガロの『学生街の喫茶店』とのリンクを感じさせます。まさに1973年はフォーク&コーヒーショップ元年!とでも言いましょうか、喫茶店が日本に一番多く存在していた1950年代後半から響きをコーヒーショップやティールームと変え、今で言うカフェ的な位置付けに近づき出した、そんな頃だったのかもしれません。
この歌が少し変わっていると思うところは歌詞の目線です。ふつう美人新人歌手のデビュー曲ともなれば、本人の恋愛の心情や、なにかしらの強いメッセージを歌わせるパターンが一般的ですが、ここでの目線は誰とは特定せず、その場で起こった出来事や時代を俯瞰で追っている歌です。この一見空虚感漂う後味は阿久作品の持ち味ならではですよね。暗くはないんだけど聴き終わる頃に、遠くから警鐘が聞こえてくるような、、、
翌年、さりげなさを歌った『コーヒーショップで』の路線は封印され、慎ましやかな女性の愛情を全面に打ち出した、あの名曲に繋がってゆくのです。
『コーヒーショップで』 あべ静江 (1973年)
作詞 阿久悠 作曲 三木たかし 編曲 馬飼野俊一
古くから学生の街だった
数々の青春を知っていた
城跡の石段に腰おろし
本を読み涙する人もいた
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターも
今はフォークのギターをひいて
時の流れを見つめてる
服装や髪型が変っても
若いこはいつの日もいいものだ
人生の悲しみや愛のこと
うち明けて誰もみな旅立った
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターの
かれた似顔絵 私は描いて
なぜか心を安めてる