半田健人「俺の聴きかた」

百人の人間がいれば百の顔がある様、歌もまた同じ。百人が聴けばその歌は百の顔を持つ。そう、これは俺の聴きかたである。

第11回『江藤勲さんのLP』

僕は歌謡曲好きではありますがいわゆる‘レコードコレクター’という意識はなく、単にCD化されていないものはアナログ盤で聴くしかないという感覚のみでレコードを購入しています。
よって希少価値が上乗せされた高価格な商品には抵抗があり¥2000を越えるともうそれだけで逆に‘買う価値’を見失ってしまうんですね。¥2000という単位はCDの価格を目安とした際に「古いモノなんだからCDより三割は安くて当然だろ」という持論から来るものですが、プライス第一主義な自分にやはり関西のDNAを感じざるをえません。

さてそんな僕が先日なんと¥5000!もの大金を支払って購入したものが、ベーシスト江藤勲さんのリーダーアルバム「BassBassBass」。
内容は発売当時のヒット曲のインスト物でベースとしてのパートのみならず歌メロをベースで弾くようなリード楽器としてのアプローチも垣間見れる秀作。そしてこのレコードの有り難いところは通常のミキシングバランスよりベースパートのボリュームが持ち上げられているところで、これにより従来の歌謡曲では聴き取り辛かった微妙な音質がチェック出来たところです。

江藤さんといえば前回述べた寺川正興さんと音質的にもプレイスタイル的にも酷似した印象があったのですがこのアルバムを聴いてやっとそのグレーゾーン(どのグレーゾーンや?という方が九割八分ということは承知です)がはっきりしました!
具体的に言えば江藤さんの方がタイム感がカッチリしていて優等生なプレイ。
対して寺川さんは前ノリでグルービーな暴れん坊タイプなんですよね。使用楽器も江藤さんが1ピックアップのプレベタイプ(確かELK)に対して寺川さんは2ピックアップのジャズベタイプ(写真ではレスポールベースの時代も)のもののはず。
ミュージシャンからするとこのように外野から誰かと勝手に比較されることはあまり気分がいいことではないでしょう。
しかしある種の天下を捕った者同士にはなにかしらの共通点があるように僕は思います。
この二方を例にとって言えば共にスタジオ界のファーストコールプレイヤーであるということ。
これは時代が2人の音を必要としたといことなのでしょうか。
結果60年代後半~70年代前半で聴かれる主な歌謡曲のベーススタイルのイメージは自ずと彼ら残していったプレイスタイルに板付いていったといっても過言ではないはずです。しかしこのような事実に一目を置くような人は今や僕のような一部のコアなファンか、実際に当時現場を践んできた来たミュージシャンたちだけに限られてしまっている今を少し勿体なく感じます。

平成生まれのベーシストたちよ!歌謡曲は‘技’の巣窟だ!巨匠には巨匠の理由がある!

投稿情報: 2008年11 月25日 (火) 00:40 | 個別ページ | トラックバック (0)

第10回 『また逢う日まで』~スーパーベーシスト寺川正興氏について~

自称尾崎紀世彦マニアの僕からしてみれば今更『また逢う日まで』を事深く解析するまでもないでしょう。文句なしの名曲なんですから。そこで今回は『また逢う日まで』を拝借しまして僕の憧れのプレイヤーについてヒトコト。

僕の歌謡曲界三大アイドルはボーカル部門尾崎紀世彦氏、コンポーザー部門都倉俊一氏(作曲家)、プレイヤー部門寺川正興氏(ベーシスト)と言える。
寺川正興氏とはジャズ出身のミュージシャンでありながら昭和40年代の歌謡曲のレコーディングにおいても欠かすことのできなかったスーパーベーシストだ。この『また逢う日まで』のベースも寺川氏によるものだが、いわゆる‘寺川節’を堪能するにはいまひとつ物足りなさを感じてしまう。
そもそも寺川節とは何なのかを説明すると、激しくスケールを上下し、時折半音移動のグリスを混ぜながらグルーヴィーにうねりまくるランニングベースだ。同時期肩を並べたベーシスト、江藤勲氏(一般的には江藤氏の方が有名)もこの手の奏法で有名だが寺川氏の方がよりうねりが激しく、少し前ノリなのが特徴。そして何より魅力的なのがその音色にある。60年代のベースサウンドの要となるフラット弦+ブリッジミュートの王道コンビネーションから生み出されるアタッキーかつ艶やかなトーンは絶品!僕もそのサウンド出したさに遂にはウン十万もする60年代のジャスベを購入してしまった程…(しかし寺川氏がジャスベだった証拠は今の所未確認…誰か教えて!)。近年はどういった活動をされているのかは存じ上げないが、チャンスと可能性があるならば一度お話だけでも伺いたいものである。 

レコードに演奏家のクレジットが記載され始めるのは昭和50年以降のこと。よって寺川氏の全盛期である40年代では音色やフレーズでミュージシャンを判断するしかないのだ。これを聴き分けるのは結構至難の技なのだが、例えウラが取れなくてもそう意識して聴き漁るのもまた一つの‘俺の聴き方’である。

☆おそらく寺川正興氏であろう作品リスト☆
↓
安部律子『愛のきずな』
        『誰かの恋人』

プティ・マミ『GIRL FRIEND…BABY DOLL』(アルバム、CD化)

投稿情報: 2008年6 月19日 (木) 23:44 | 個別ページ | トラックバック (0)

第9回『私の彼は左きき』

歌謡曲の醍醐味の一つに‘無意識の高揚感’というものがあります。そのつもりはなかったが気が付けば体がスイングしていたり手拍子をとっていたりした経験はみなさんございませんか?そして最近の歌では稀になった‘歌えるイントロ’。この二つを兼ね備えることはいわばプロの作家の腕の見せ所だったのではないでしょうか。

今回取り上げた『私の彼は左きき』はそんな要素がきっちり踏まえられた秀作です。僕は今や歌謡曲リスナー歴が12年目となったベテランですが(笑)、そんな僕が歌謡曲一年目にして虜になった一曲がコレです。今聴けばどの歌もどこかしら聴き所を見つけようとしてしまうような聴き方をしてしまいますが、この頃は単純なフィーリングで善し悪しを判断していました。だからこそ本当の意味での大衆性がこの歌にはあったのでしょう。

歌詞は千家和也さん専売特許ともいえる‘私の彼紹介シリーズ’を用いています。これはキャンディーズの『年下の男の子』や『内気なあいつ』と同じ手法ですね。この歌詞によって当時、無理矢理左ききに変えようとしたファンが続出したというから歌謡曲の影響力の凄さを物語っていますね。今のアイドルには不可能な現象でしょう。

そして注目すべきはサウンド面にも広がっています。例えばこの曲でギターを弾いているのは後のスーパーギタリスト高中正義さんであったり(←麻丘さん談なので事実!)、ベースは音色から察するに江藤勲さんのようにも思えます。歌謡曲という舞台でありながらこだわりのキャスティングが組まれているあたりはやはり筒美さんの人脈とセンスを感じますね~。   いずれにせよ、この歌は素晴らしい!実に70年代っぽいですし、ある種アイドルポップスのお手本のような作品です。

流行歌とは明解であっても単純ではいけない。この方程式が解けるか解けないかが、職人とアマチュアの差ではないでしょうか。
偉そうな意見ですいません(汗)

『私の彼は左きき』 麻丘めぐみ(1973年)

作詞 千家和也 作曲 筒美京平

小さく投げキッス する時もする時も
こちらにおいでと 呼ぶ時も呼ぶ時も
いつでもいつでも 彼は左きき
あふれる泪を ぬぐうのもぬぐうのも
やさしく小指を つなぐのもつなぐのも
いつでもいつでも彼は 左きき
あなたに合わせて みたいけど
私は右ききすれ違い 意地悪意地悪なの
別れに片手を 振る時も振る時も
横眼で時計を 見る時も見る時も
私の私の彼は 左きき

背中にいたずら する時もする時も
ブラックコーヒー 飲む時も飲む時も
いつでもいつでも 彼は左きき
あなたの真似して みるけれど
私の右きき直せない 意地悪意地悪なの
短かい手紙を 書く時も書く時も
誰かに電話を する時もする時も
私の私の彼は 左きき…

投稿情報: 2008年3 月 7日 (金) 11:53 | 個別ページ | トラックバック (1)

第八回『コーヒーショップで』

僕は‘コーヒーショップ’という単語をこの歌で知りました。世代的な問題なのか、もしくは単なる僕の知識不足だったのかは今更どうでもよいことなのですが、類似語としてカフェという言葉が定着していたような気がします。

さて、この歌は1973年(昭和48年)にあべ静江さんのデビュー曲として書かれたものですが、実に73年らしい要素がちりばめられています。まず作家陣ですが、既に大御所と成りつつあった阿久悠さんを筆頭に、作曲が三木たかしさん、そして編曲はこの年絶好調の馬飼野俊一さん(同年、馬飼野さんは作曲でチェリッシュの『てんとう虫のサンバ』や野口五郎さんの『君が美しすぎて』などをヒットさせています)という取り合わせ。曲調は70年代前半に起きた四畳半フォークブームに便乗した風な少し地味目な印象があり、歌詞にある‘学生や‘マスター’というキーワードも同年のヒット曲、ガロの『学生街の喫茶店』とのリンクを感じさせます。まさに1973年はフォーク&コーヒーショップ元年!とでも言いましょうか、喫茶店が日本に一番多く存在していた1950年代後半から響きをコーヒーショップやティールームと変え、今で言うカフェ的な位置付けに近づき出した、そんな頃だったのかもしれません。

この歌が少し変わっていると思うところは歌詞の目線です。ふつう美人新人歌手のデビュー曲ともなれば、本人の恋愛の心情や、なにかしらの強いメッセージを歌わせるパターンが一般的ですが、ここでの目線は誰とは特定せず、その場で起こった出来事や時代を俯瞰で追っている歌です。この一見空虚感漂う後味は阿久作品の持ち味ならではですよね。暗くはないんだけど聴き終わる頃に、遠くから警鐘が聞こえてくるような、、、

翌年、さりげなさを歌った『コーヒーショップで』の路線は封印され、慎ましやかな女性の愛情を全面に打ち出した、あの名曲に繋がってゆくのです。

『コーヒーショップで』 あべ静江 (1973年)

作詞 阿久悠 作曲 三木たかし 編曲 馬飼野俊一

古くから学生の街だった
数々の青春を知っていた
城跡の石段に腰おろし
本を読み涙する人もいた
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターも
今はフォークのギターをひいて
時の流れを見つめてる

服装や髪型が変っても
若いこはいつの日もいいものだ
人生の悲しみや愛のこと
うち明けて誰もみな旅立った
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターの
かれた似顔絵 私は描いて
なぜか心を安めてる

投稿情報: 2007年12 月21日 (金) 00:32 | 個別ページ | トラックバック (0)

第七回 『円舞曲』

‘円舞曲’という響きを聞けば僕の場合、ヨーロッパのお城から流れて来そうな宮廷ワルツを連想します。しかもこの歌に関しては、作曲がスタンダード系を得意としている川口真ということもあり、確実にそっち系の曲だと思っていました。しかしそこはさすがプロフェッショナルですね。効果的な裏切りで見事な叙情的円舞曲を完成させています。このことは先に詞を書かれた阿久さんも同じ様な感想を書かれていました。ワルツだからと言って安易にイメージ先行で有りがちなパターンの曲を持って来られることが心配だったが、さすが川口真だと。

ロケーションは海辺のホテルと示されています。しかし豪華なリゾートホテルではないでしょう。この歌が書かれたのは昭和49年ですが、その当時ですでに少し古さを感じさせる様な洋館建ての小ぶりなホテルが似合うと思います。
女は酒を飲み、手紙を書き、見知らぬ男と踊ってみたりもしますが、最後にはやはり円舞曲がもの悲しく聴こえてしまう、、、歌というものは作り手がいくらコンセプトを明確に打ち出しても、結局は聴き手の心境が八割その歌のイメージを作り上げてしまうものですからね。だから楽しく踊るために流れている円舞曲も、この歌の主人公に取っては映画のクライマックスのBGMと変わらないのでしょう。

僕にとってもまた、この曲は思い出の一曲なのです。以前、事務所の社長であった久世光彦さんと歌謡曲の話題で盛り上がり、オフィスの一角で二人してこの『円舞曲』の一番を合唱したのです。後で奥様から伺った話なのですが、久世さんは滅多と人前で歌を歌わない方なんだとか、、、

昭和の歌世界の巨星、阿久悠さんが遺した歌を、昭和のテレビ界の巨星、久世光彦さんと楽しみを分かち合う経験の出来た僕は大変な贅沢者でした。
今亡きお二人の功績までもを継ぐというのは、大きく見積もり過ぎですが、もの創りに対する‘志’を継ぐことは不可能ではないはずなのです。

『円舞曲(わるつ)』 ちあきなおみ(1974年)

作詞 阿久悠  作曲 川口真

誰かが 円舞曲を 踊っています
幸せあふれた 二人です
私は飲めない お酒を飲んで
泣きたい気持を おさえます
 海鳴り 漁火 海辺のホテル
 一人に悲しい ワルツの調べ

別れの手紙を 綴っています
乱れた文字です ごめんなさい
あれこれ理由を 並べてみても
切ない心は 変わりません
 海鳴り 漁火 海辺のホテル
 一人に悲しい ワルツの調べ

明日もこうして 泊まっています
涙が枯れたら 帰ります
知らない誰かと 踊ってみたり
楽しくなるよう 努めます
 海鳴り 漁火 海辺のホテル
 一人に悲しい ワルツの調べ

投稿情報: 2007年9 月16日 (日) 00:51 | 個別ページ | トラックバック (0)

第六回『さらば涙と言おう』

八月一日、その日出先だった僕はその訃報を父の電話で知ることになりました。作詞家、阿久悠先生死去と。ちょうど先日僕が出演させて頂いたNHKの番組内でコメンテーターとしてご意見を頂いたばかりで、これで僕もようやく先生の人物名鑑に登録されたかな、と舞い上がっていたさなかの出来事でした。
 僕の23年間の人生において、特に歌を聴き始めたここ10年間においての阿久さんの歌の存在は云うまでもありません。歌が直接人生に左右したというよりは、阿久さんの書物を通して作詞やものづくりのプロセスを知ったことにより、人間という生き物の面白さ、人間の可能性、日本という国の素晴らしさに気付くことが出来ました。これはこれからも続く僕の人生の中で、なによりの財産として生き続けることでしょう。
 阿久さんは言っておられました。「歌は時代を餌にして肥え太っていくものだ」と。餌が落ちていない現代では歌は痩せていくばかりなのでしょうか。。日本には阿久悠がいる!という強みはもうありません。‘昭和の後継ぎ’を阿久さんが期待されていたのかはわかりませんが、昭和の末っ子として僕が何か引き渡せるバトンを持っているとしたならば、それが一体何なのかをこれからも模索していきたいと思います。
善い歌と、善い時間をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

『さらば涙と言おう』  森田健作(1971)

 作曲 鈴木邦彦 編曲 鈴木邦彦

   一、さよならは誰に言う
     さよならは悲しみに
     雨の降る日を待って
     さらば涙と言おう

      頬をぬらす涙は 誰にも見せない
      こらえきれぬ時には 小雨に流そう

     さみしさも悲しさも
     いくたびか出逢うだろう
     だけどそんな時でも
     さらば涙と言おう

   二、青春の勲章は
     くじけない心だと
     知った今日であるなら
     さらば涙と言おう

      まぶたはらす涙も こぼしちゃいけない
      こらえきれぬ時には まつげにためよう

     恋のため愛のため
     まっすぐに生きるため
     泣けることもあるけど
     さらば涙と言おう

投稿情報: 2007年8 月 2日 (木) 17:39 | 個別ページ | コメント (32) | トラックバック (3)

第五回『穂口雄右とキャンディーズ』

 僕は昨年半年にわたり自身のライブ、『歌謡見聞録』というものを行っていました。カバーを中心とした内容でしたが、ただ闇雲に選曲したのでは芸がないということで、毎回(計6回)一人の作家をフューチャーしその人の個性を皆さんに知って頂くということをコンセプトとしました。そのメンツは作詞家、なかにし礼さん、阿久悠さん。作曲家、都倉俊一さん、川口真さん、馬飼野俊一さん、馬飼野康二さんの計7名。ライブの公演回数の都合上人数を限定されてしまいましたが、その他特集したかった作家の中で最後まで迷いに迷ったのが、作曲家の穂口雄右(ほぐちゆうすけ)さん。理由としては提供曲に比較的女性歌手のものが多かった為、男性である僕が歌う場合のキーやイメージに若干の抵抗を感じるというところから、今回は見送らせて頂きました。            
 具体的に穂口さんの代表曲を挙げてみると、まずキャンディーズの『年下の男の子』『内気なあいつ』『春一番』『微笑みがえし』等の一連の作品。石野真子『失恋記念日』、林寛子『素敵なラブリーボーイ』、郷ひろみ樹木希林『林檎殺人事件』など、どれをとっても個性的な作品が目立ちます。この‘個性’という観点ではほぼ同世代の作曲家、都倉俊一さんと二強といっても良いかもしれません。しかし穂口作品の本当の魅力というのはファーストインプレッションによるキャッチーさが全てではなく、巧妙に練り上げられた編曲にあるのです。元々洋楽思考の強い穂口さんは歌謡界に実験的要素をふんだんに盛り込んだ作品を投げ掛けています。例えば『年下の男の子』はキャンディーズの最初のヒット曲として成功を修めていますが、実はこの曲には別バージョンが存在しレコーディングも終了していたものがありました。何故欠番になったのか、、それは当時の歌謡曲としては編曲が垢抜け過ぎていたことから‘難解’だと判断されてしまい、お蔵入りさせざるを得なかったらしいのです。シングルバージョンでも十分かっこよさを残していることから、欠番作品は相当なものが予想されますね。なんとかして聴いてみたい!
 キャンディーズと穂口さんの関係は、少し大袈裟に例えるならば理想のカップルの様にも思えます。互いを高め合いながら、暇をさせない刺激を与え合う。単なるアイドルという枠で括られがちなキャンディーズですが、彼女達は譜面の初見が効く立派なミュージシャンです。そこに可能性を託した作曲家は鬼に金棒でしょう。特に中盤以降のキャンディーズ作品は面白いですよ。シングル曲ならば『その気にさせないで』や『わな』、ラストシングルの『微笑がえし』なんてのはもう奇跡的作品です。
 かつて歌手と作家というものは、もっと距離の近い存在だったのかもしれません。というよりは、互いに近づこうという意思を持つ事が歌手として、そして作家としての‘欲’の表れだったのではないでしょうか。今がどうだとは言いません。僕には経験がありませんからね。ただ一つ言えることは、文章にせよ音源にせよ電波に乗せることが当たり前となっている現代では、偶然が幸を来たす確率が減りましたね。相手の顔色をうかがえないやり取りでは予想以上の成功は期待できないですから。アナログがいいという発想もデジタル社会を頼りにしている余裕から来るものなのかもしれません。でも歌はやっぱりアナログがいいですよ!音質がということではなく、工程が大事ということです。

投稿情報: 2007年7 月30日 (月) 22:16 | 個別ページ | トラックバック (0)

第四回『出発(たびだち)の歌』

流行にはタイムラグがあると言われていますが、それは例えば洋服や映画など、企画→制作→発表という風に、プロセスにある程度時間を要するものに生じる現象です。それ故、音楽の様にレア(生)な現場ではこのような現象は極稀なはずなのです。しかし今回取り上げた『出発の歌』は、僕なりのタイムラグを物凄く感じていまして、それは、‘2年越しの万博サウンド’ということです。ここで言う万博とはもちろん1970年(昭和45年)に開催された大阪万国博覧会を指します。

 『出発の歌』が発表されたのはその2年後の72年のこと。サウンド的な万国ポイントは2番のサビからリフレイン、そしてエンディングに至るあたりで込み上げて来るスペーシーで浮遊感のある編曲。本作の編曲は神田川をはじめ、主に70年代初期からの多くのフォーク系楽曲の編曲で腕を奮っていた木田高介氏によるもの。ジャンルとしてはフォークソングの部類として語られる事の多い『出発の歌』ですが、僕はソフトロックとして捉えていまして、このソフトロック(当時はこのようなジャンルの呼び方はしなかったと言う話も聞きましたが…)こそが万博サウンドの中枢をになっていると言ってもよいでしょう(実際そのコンセプトで括ったオムニバス盤も発売されています)。しかしこれを一概にソフトロック=万博サウンドと括るには少し生温いところがあります。

日本でソフトロック調の曲が量産され始めたのは71年以降のこと。では何故それが万博を連想させるサウンドとして後世に響いているのか…ここからはあくまで僕なりの見解でしかありませんが、万博開催時には音楽という点では垢抜けが乏しかった。なので、あれだけ大規模で華やかな空間とはイメージが違い過ぎる。そこで後世の者が、実際のリアルな印象とは別に、完全に‘こじつけ’でもっておよそイメージに相応しいソフトロックを万博と組み合わせた。それを僕を含めた万博未経験者は万博サウンドだと思い込んでいる。これはどうでしょうか?非常に勝手な意見ですが…しかし完全な間違いではないはずです。いくら万博が日本中にムーブメントを起こしたとはいえ、ミュージシャンのような半社会派(←イメージです!)の人種に限って、こぞって万博を意識するような真似はしないでしょう。あくまで結果としてソフトロックというものがこの時期発生したまでで、そこに偶然あの万博会場の連想させる空気があった。。そういうことなのだろうと僕は思っています。

長々と語っていますが、要するに歌というものは時として、映像以上に空間を伝えることが出来る貴重な歴史資料なのです!

『出発(たびだち)の歌』  上條恒彦(1971年)

 作詞 及川恒平 作曲 小室等

     乾いた空を見上げているのは 誰だ
     お前の目に 焼きついたものは
     化石の街
     愛の形が 壊れた時に
     残されたものは
     出発(たびだち)の歌
     さあ今 銀河の向こうに飛んでゆけ

     乾いた空を見上げているのは 誰だ
     お前の耳を 寒がせたものは
     時計の森
     自由な日々が 失われた時に
     残されたものは
     出発(たびだち)の歌
     さあ今 銀河の向こうに飛んでゆけ
     さあ今 銀河の向こうに飛んでゆけ

     さあ今 宇宙に さあ今 未来に
     さあ今 宇宙に さあ今 未来に
     飛んでゆけ

     さあ今 宇宙に さあ今 未来に
     さあ今 宇宙に さあ今 未来に
     飛んでゆけ

投稿情報: 2007年3 月27日 (火) 00:45 | 個別ページ | コメント (8) | トラックバック (0)

第三回『哀愁のシンフォニー』

去年の暮れ、某局のテレビ番組でキャンディーズの特番をやっていたのですが、僕の中で70年代女性アイドルユニットというと、どうしても最初にピンクレディーが挙がりキャンディーズは二番手なんですね。今回もそんな気持ちで番組を観ていましたところ、記憶の片隅に眠っていた名曲に出会いました。そもそもこの曲を僕が初めて聴いたのは小学校六年生の頃で、ちょうどピンクレディーも並行して聴いていた時期の中、ピンクレディーに勝るとも劣らない衝動を僕に与えたことを思い出します。当時の僕はまだ‘理想の歌謡曲’というものを暗中模索の段階で、それに近い作品を知る度に、まるで長年捜し求めていた宝物を見つけたかの如くの感動があったのです。

その一つがこの『哀愁のシンフォニー』。具体的に気に留まったところはまずイントロから。ギターの裏打ちカッティングから♪ダバダァ~♪というコーラスに始まり、弦の駆け上がりがあり、再び♪フッフ~♪というコーラスで落ち着く。これは今聴くと気恥ずかしい感じもしますが、これくらいイントロに本編を期待させる要素を持たせるのもまた◎ですよね(笑)そしてBメロからサビにいく前、再び弦が駆け上がり今度はブラスも一気に参戦して来るあたりなんて、もうおいしすぎます!さらに作詞のなかにし先生の題名のピッタリなこと。歌謡曲に必須である「哀愁」(←これは持論であるが)が曲調だけでなくタイトルにまで盛り込まれていて、全てにおいて理想的!こんな素晴らしい曲をここ数年封印していた自分に少し反省しました。

『哀愁のシンフォニー』   キャンディーズ(1976)

 作詞 なかにし礼 作曲 三木たかし 

     あなたの眼が 私を見て
     涙うかべてた その顔がつらい
     白い霧が 二人の影を
     やさしく つつんでいたわ
     
     私の胸の奥のみずうみにあなたは
     涙の石を投げた
     愛の深さにおびえるの あヽ
       こっちを向いて 涙をふいて
      *あなたのこと 愛せるかしら
       なんとなくこわい

     あなたの眼が 濡れてるのを
     みたの 初めてよ 美しいものね
     白い霧の はるかな彼方
     朝日が 燃えてるみたい

     あなたの風のような
     きまぐれが悪いの
     遊びと恋の区別
     まだまだ私 つかないの あヽ
     こっちを向いて やさしく抱いて
     あなたのこと 愛せるかしら
     なんとなくこわく
     (*印くりかえし)

投稿情報: 2007年2 月11日 (日) 07:36 | 個別ページ

第二回『同棲時代』『積木の部屋』『甘い生活』

いきなりですが、フォークな歌謡曲、「フォーク歌謡曲」という言葉をつくってみました。これはつまり自作自演がモットーの本家本元のフォークソングに対し、普段職業作詞家、作曲家として活動されている先生方が時代を意識して“フォーク風”にアレンジして作られた曲のことを指すと思って下さい。
 
いくつか挙げると、1973年に大信田礼子が歌った『同棲時代』(詞、上村一夫 曲、都倉俊一 編、高田弘)や74年布施明が歌った『積木の部屋』(詞、有馬三恵子 曲、川口真 編、川口真)、同じく74年野口五郎が歌った『甘い生活』(詞、山上路夫 曲、筒美京平 編、筒美京平)などなど、詞を読んでみる分には確かに、いわゆる四畳半フォークの匂いが感じられるのですが、当時大方が曲先だった歌謡界のシステムのせいで出来上がってみれば、どれも見事な大道の歌謡サウンドに!(笑)

しかしこれが面白いんですよ。もともと歌謡曲とは別名、流行歌とも称されていたくらいですから、流行有りきで成り立つもの。なのでジャンルもあってないようなものです。流行りと作家陣の個性のぶつかり合いが生む“歌学反応”こそ歌謡曲の醍醐味なのではないでしょうか。

『同棲時代』   大信田礼子(1973)
 
 作詞 上村一夫 作曲 都倉俊一 編曲 高田弘
 
「愛はいつも いくつかの過ちに 満たされている」
 
   一、ふたりはいつも 傷つけあってくらした
     それがふたりの愛のかたちだと信じた
     できることなら、あなたを殺して
     あたしも死のうと思った
 
      それが愛することだと信じ
      よろこびにふるえた
      愛のくらし 同棲時代
 
   二、寒い部屋でまぼろしを見て暮らした
     それがふたりの愛のかたちだと信じた
     泣いて狂った あたしを抱いて
     あなたも静かに泣いていた
 
      それが愛することだと信じ
      よろこびにふるえた
      愛のくらし 同棲時代
 
「もし愛が美しいものなら それは男と女が犯す この過ちの美しさに ほかならぬであろう」
「そして愛がいつも涙で終わるものなら… それは愛がもともと 涙の棲家だから」
 
『積木の部屋』   布施明(1974)
 
 作詞 有馬三恵子 作曲 川口真 編曲 川口真
 
   一、いつの間にか君と暮らしはじめていた
     西日だけが入る せまい部屋で二人
     君に出来ることは ボタンつけとそうじ
     だけど充ち足りていた
 
      やりきれぬ淋しさも愚痴も
      おたがいのぬくもりで消した
      もしもどちらか もっと強い気持ちでいたら
      愛は続いていたのか

     リンゴかじりながら語り明かしたよね
     愛はあれから何処へ
 
   二、二人ここを出てもすぐに誰か住むさ
     僕らに似た 若い恋人かもしれない
     きれい好きな君が みがきこんだ窓に
     どんな灯りがともる
 
      限りないもめごとも嘘も
      別れだとなればなつかしい
      もしもどちらかもっと強い気持ちでいたら
      愛は続いていたのか
 
     こんな終わり知らず
     部屋をさがした頃
     そうさあの日がすべて

『甘い生活』  野口五郎(1974)

 作詞 山上路夫 作曲 筒美京平 編曲 筒美京平
 
   一、あなたと揃いの モーニングカップは
     このまま誰かに あげよか
     二人で暮らすと はがきで通知を
     出した日は帰らない
     愛があればそれでいいと
     甘い夢をはじめたが
 
      今では二人からだ寄せても
      愛は哀しい
      何かがこわれ去った
      ひとときの甘い生活よ
 
   二、土曜の夜には あなたを誘って
     町まで飲みにも 行ったよ
     なじみのお店も この町はなれりゃ
     もう二度と来ないだろう
     壁の傷はここにベット
     入れた時につけたもの
      今ではそんなことも心に痛い思い出
      何かがこわれ去った
      ひとときの甘い生活よ

投稿情報: 2006年8 月24日 (木) 11:44 | 個別ページ

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