いきなりですが、フォークな歌謡曲、「フォーク歌謡曲」という言葉をつくってみました。これはつまり自作自演がモットーの本家本元のフォークソングに対し、普段職業作詞家、作曲家として活動されている先生方が時代を意識して“フォーク風”にアレンジして作られた曲のことを指すと思って下さい。
いくつか挙げると、1973年に大信田礼子が歌った『同棲時代』(詞、上村一夫 曲、都倉俊一 編、高田弘)や74年布施明が歌った『積木の部屋』(詞、有馬三恵子 曲、川口真 編、川口真)、同じく74年野口五郎が歌った『甘い生活』(詞、山上路夫 曲、筒美京平 編、筒美京平)などなど、詞を読んでみる分には確かに、いわゆる四畳半フォークの匂いが感じられるのですが、当時大方が曲先だった歌謡界のシステムのせいで出来上がってみれば、どれも見事な大道の歌謡サウンドに!(笑)
しかしこれが面白いんですよ。もともと歌謡曲とは別名、流行歌とも称されていたくらいですから、流行有りきで成り立つもの。なのでジャンルもあってないようなものです。流行りと作家陣の個性のぶつかり合いが生む“歌学反応”こそ歌謡曲の醍醐味なのではないでしょうか。
『同棲時代』 大信田礼子(1973)
作詞 上村一夫 作曲 都倉俊一 編曲 高田弘
「愛はいつも いくつかの過ちに 満たされている」
一、ふたりはいつも 傷つけあってくらした
それがふたりの愛のかたちだと信じた
できることなら、あなたを殺して
あたしも死のうと思った
それが愛することだと信じ
よろこびにふるえた
愛のくらし 同棲時代
二、寒い部屋でまぼろしを見て暮らした
それがふたりの愛のかたちだと信じた
泣いて狂った あたしを抱いて
あなたも静かに泣いていた
それが愛することだと信じ
よろこびにふるえた
愛のくらし 同棲時代
「もし愛が美しいものなら それは男と女が犯す この過ちの美しさに ほかならぬであろう」
「そして愛がいつも涙で終わるものなら… それは愛がもともと 涙の棲家だから」
『積木の部屋』 布施明(1974)
作詞 有馬三恵子 作曲 川口真 編曲 川口真
一、いつの間にか君と暮らしはじめていた
西日だけが入る せまい部屋で二人
君に出来ることは ボタンつけとそうじ
だけど充ち足りていた
やりきれぬ淋しさも愚痴も
おたがいのぬくもりで消した
もしもどちらか もっと強い気持ちでいたら
愛は続いていたのか
リンゴかじりながら語り明かしたよね
愛はあれから何処へ
二、二人ここを出てもすぐに誰か住むさ
僕らに似た 若い恋人かもしれない
きれい好きな君が みがきこんだ窓に
どんな灯りがともる
限りないもめごとも嘘も
別れだとなればなつかしい
もしもどちらかもっと強い気持ちでいたら
愛は続いていたのか
こんな終わり知らず
部屋をさがした頃
そうさあの日がすべて
『甘い生活』 野口五郎(1974)
作詞 山上路夫 作曲 筒美京平 編曲 筒美京平
一、あなたと揃いの モーニングカップは
このまま誰かに あげよか
二人で暮らすと はがきで通知を
出した日は帰らない
愛があればそれでいいと
甘い夢をはじめたが
今では二人からだ寄せても
愛は哀しい
何かがこわれ去った
ひとときの甘い生活よ
二、土曜の夜には あなたを誘って
町まで飲みにも 行ったよ
なじみのお店も この町はなれりゃ
もう二度と来ないだろう
壁の傷はここにベット
入れた時につけたもの
今ではそんなことも心に痛い思い出
何かがこわれ去った
ひとときの甘い生活よ